変異原性について (Mutagenicity)

 細胞に突然変異 mutation を誘発する性質を言う。特定な遺伝子に起る変異のみならず、もっと広い意味で、遺伝物質DNAに傷害を与えたり、染色体に異常を誘発させるような現象を総括している。「変異原性」(mutagenicity)はまた「遺伝毒性(Genotoxicity)と呼ばれることもある。 ヒトにがんを発生させるような物質(放射線や紫外線その他の発がん物質)の殆どすべてに変異原性が認められている。がん細胞は、色々な環境要因によって誘発される「突然変異(mutation)」にてよって発生して来るからである。
 
 通常、我々は生活環境の中で、色々な変異原に暴露されている。しかし、細胞には修復作用があるため、その影響は自然に取り除かれてしまう。生物の進化はそれらの過程で営まれて来た。しかし、ある条件下で、その修復機構にエラーが起ると、細胞は別の性質に変化する。一部の細胞は、宿主のコントロールを逸脱して、増殖を始める。このような変化が、もし体細胞に起これば、がんの発生につながる。また、その変化が生殖細胞に起れば、我々の子孫に悪い遺伝的な影響、即ち、本来の意味での遺伝的影響(Genetically heritable effects)につながる恐れも出て来る。
 
 現在、国内外の所轄官庁では、新しい化学物質(医薬品、農薬、食品添加物、医療用具材料や化粧品などの製品あるいはそれらの材料などを含む)の安全性を確保するため、申請時に変異原性試験の結果を提出することになっている。
 発がん性のある化合物には強い変異原性が認められるが、逆に、変異原性があるものが全て発がん性があるとは限らない。ちょうど、がんの早期診断と同じく、疑わしい物質について更に精密検査が必要である。我が国で行われた動物発がん性試験では、変異原性のある物質の約25%のものには発がん性が認められなかった。また逆に、変異原性を示さない物質に発がん性のあることも知られて来た。これらの物質は、恐らく、遺伝物質(DNA)に直接に影響を及ぼす性質はなく、RNAあるいは蛋白の変化(メチル化など)を通して、間接的に発がん性をを誘導するためと思われる。後者については、このホームページでは触れないことにする。
 
 変異試験では先ず、試験管内(in vitro)での感受性の高い簡単な方法が起用される。低い濃度で比較的高い反応を示した場合には、更に、動物個体を用いる試験を追加する。その効果が生体内でも同様に見られるかをチェックするためである。(試験法の種類、試験技術の問題点、結果の評価の項を参照のこと)
 
 天然物にも変異原性を示すものもある。しかし、我々の日常生活に欠かせないもの、例えばコーヒーや調味料にも変異原性はある。従って、重要なことは、変異原性の有無よりも、どのような試験で、どの程度の変異原性を示すか、定量的な評価が重要と思われる。(結果の評価の項参照)
 
 最近、アスベストによる発がん性が問題となっている。本剤は細菌を用いる遺伝子突然変異試験では検出されないが、哺乳類の培養細胞を用いる染色体試験を行うと、染色体を損傷する性質のあることが分かる。このように、変異原性試験では、ある特定な試験法に限定せず、遺伝的指標の異なる複数の試験法を組み合わせて、結果を総合的に評価する必要がある。
 
 なお、変異原性試験(遺伝毒性試験)の意義、役割、等については、国立医薬品食品衛生研究所
・変異遺伝部によって作成された下記ホームページの解説書を参照とされたい。

     
http://www.nihs.go.jp/index-j.html

   Mutation is the process or an instance of change or alteration in living organisms. It has been recognized that carcinogens (including ionizing and ultraviolet radiation and chemicals of a very wide range of structures and activities) are mutagenic, supporting the idea that DNA is a critical target for carcinogenic agents.
   At present time, any damage occurred in DNA or chromosomal aberrations induced in mammalian cells are also recognized as the effects. If such changes occurred in germ cells, and transmitted to offspring, genetically heritable hazards can be also expected, which may become more serious problems in future generations.
   A battery of mutagenicity tests have been adopted in the national test guidelines to evaluate the safety of new products such as drugs, cosmetics, pesticides, food additives , medical devices and other industrial chemicals. Test systems of different genetic end-points should be combined; e.g. carcinogenic asbestos can not be detected by Ames test, but detected by chromosomal aberration tests or mutation assays with mammalian cells in culture.

我が国の安全衛生法に基ずく「化学物質の有害性の調査」 (厚生労働省)
1)新規化学物質の有害性調査について
 新規化学物質を製造し、又は輸入しようとする事業者が行うべき有害性の調査については、「変異原性試験、化学物質のがん原性に関し変異原性試験と同等以上の知見が得られる試験又はがん原性試験」により調査を実施することとされている。このうち、微生物を用いる変異原性試験については、新規化学物質の有害性調査の信頼性を確保するため、「微生物を用いる変異原性試験」は一定の基準(テストガイドライン)に従って行うべきことと定められている。例えば、平成14年9月までに届出のあった新規化学物質のうち、強い変異原性が認められたものは、329種類であった。

2)既存化学物質の有害性調査について
 既存化学物質のうち、がん原性が疑われる物質を選定し、計画的に変異原性試験を、安衛法GLPに適合した約25箇所の試験機関で分担して実施して来た。この結果、強い変異原性が認められたエピクロヒドリン、ヒドラジンなど、126物質の製造、取扱いについて、適切な対策が実施されるよう行政指導が行われている(中央労働災害防止協会編 (平成15年版 安全衛生年鑑より

       【参考文献】

石館 基(監修) 医薬品の変異原性・遺伝毒性;続医薬品の開発11巻 広川書店/東京 1991
石館 基(監修) 染色体異常試験データ集 LIC/東京 1987
祖父尼俊雄(監修) 染色体異常試験データ集 (改定版) LIC/東京 1998
石館 基(監修) 微生物を用いる変異原性試験データ集 LIC/東京 1991
賀田恒夫・石館 基(監修) 環境変異原データ集 サイエンティスト社/東京 1980
菊地康基・三宅幸雄(編集) 変異原性試験Q&A サイエンティスト社/東京 1992
菊地康基 他(編集) 遺伝毒性試験用語集 サイエンティスト社/東京 1995
労働省化学物質調査課(編) 安衛法における変異原性試験 中央労働災害防止協会 1991
OECD Guidelines on Genetic Toxicology Testing, Introduction OECD 1988
UKEMS (D.J. Kirkland, Ed.) Basic Mutagenicity Tests, Recommended Procedures Cambridge Univ. Press/UK 1990
Scott D., et al. Genotoxicity under extreme culture conditions. A report from ICPEMC Task Group 9 Mutation Res.., 257, 147-204 1991
Ashby J., et al. Evaluation of Short-term Tests for Carcinogens Elsevier/North Holland 1985
Ishidate M. Jr. A proposed battery of tests for the initial evaluation of the mutagenic potential of medicinal and industrial chemicals Mutation Res., 205, 397-407 1988
Gold L.S. & E. Zeiger (Ed.) Handbook of Carcinogenic Potency and Genotoxicity Databases CRC Press/New York/Tokyo 1997
 変異原性試験の役割を参照のこと