日本環境変異原学会

放射線リスクWG作成

 

 

コラム

 ここでは、今回の大震災および原子力発電所の事故を受けて、日本環境変異原学会会員からのコメント、情報提供をコラムという形で提供させていただくことにしました。よって、ここに掲載された内容は会員個人の意見に基づくものであり、日本環境変異原学会としての意見ではないことをご了解の上、お読みください。(あわせて、学会員の皆様からの積極的な情報提供をお願いします。)

  • その1  天災は忘れた頃にやってくる (鈴木孝昌) 
       「天災は忘れた頃にやってくる」ということばの出典は物理化学者の中谷宇吉郎とされるが、その師が寺田寅彦であったことから、寺田の言葉とする説も多い。
      「防災」という言葉を作ったのも寺田とされる。今回の東北地方の津波被害は、まさに未曾有の大災害であるとされているが、歴史を紐解くと明治時代(1986年)にも「明治三陸地震」による大津波により、全く同じ地域に2万人を超える犠牲者が出ていたことがわかる。 まさに、歴史が繰り返したわけである。 つづきを読む 

  • その2  我々はすでに結構被爆していた(内部被爆編) (鈴木孝昌) 
       今回の原発事故を受け、放射線の生体影響に関しては様々な意見が出されているが、これを機会に放射線に関する基礎知識を勉強してみて、改めて驚かされることも多い。 職業柄その程度はどこかで学んでいるべきで、単に私の勉強不足かもしれないが、おそらく一般教育の中で放射線に関する基礎知識をきちんと学ぶ機会が無いことが原因だと考えられる。 つづきを読む 

  • その3  我々はすでに結構被爆していた(核実験編) (鈴木孝昌) 
       カリウム40による自然暴露の問題と同様、今回の原発事故を受け、放射線に関する基礎知識を勉強してみて初めてわかった驚くべき事実として、50年代から60年代にかけての核実験による環境放射能汚染の深刻さがある。核実験の数はこれまでに、なんと2400回を越え、それによって放出された放射性物質の量はかなりなものであった。 つづきを読む